Japanese Studies by SADRIA, Modjtaba and YI, Hyeong Nang

Wednesday, October 18, 2006

尹健次「ナショナル・アイデンティティの作られ方とアジア観」

尹健次(ユン・コンチャ)神奈川大学教授をお招きして「ナショナル・アイデンティティの作られ方とアジア観」という題目で講演していただきました。その講演の概要は次のようなものでした。

教授は「ナショナル・アイデンティティ」を研究するに至った自らの歴史を振り返ることから講演を開始しました。教授は在日朝鮮人の2世として生まれました。しかし、大学に入るまでは自分が在日朝鮮人であるということを強く意識することはなかったそうです。大学に入り本格的な研究を進める中で在日朝鮮人である自分自身に向き合うことになりました。それ以来、日本と朝鮮という二つの社会に身をおく人間として「ナショナル・アイデンティティ」の問題に取り組んできたそうです。

「あなたは日本人なの?」。教授は新学期の始めにいつも学生にこの質問を投げかけることから授業を開始するそうです。教授によると、学生のこの質問に対する反応は大きく二つに分けることができるそうです。一つは、答えに窮して黙り込んでしまうという反応。二つは、学生は教授がふざけて質問をしていると思い込んで怒るという反応。学生がこのような反応を示すのはこの質問に答えることがとても難しいからです。日本人にとって日本人であることは、改めて考えるまでもない当たり前のことになってしまっているのです。だからこの「あなたは日本人なの?」という一見すると素朴な質問に答えることができない。教授は、これこそが「ナショナル・アイデンティティ」が持つ性質を最もよく現していることを強調しました。

教授によると、「ナショナル・アイデンティティ」とは国民教育を通して強制的に作られる国民意識のことです。義務教育という言葉がこの国民教育の性質を最もよく表しています。国民教育は、国民の義務より性格に言うと国民に強制されるものなのです。そこで人々は自分の知らない間に、そして、何の違和感も持つことなく国民として育成されるのです。「生まれ」を選ぶことができないように、人々は「国民(教育)」を選ぶこともできないのです。このような国民意識を形成する国民教育は、世界中の国々、つまり国民国家において行われてきました。ここで、注意しなければならないのは国民教育が常に社会における多数派の教育として行われてきたということです。

つまり、誰しもが「ナショナル・アイデンティティ」の枠の中にとらわれている。しかし、「ナショナル・アイデンティティ」の枠から全く逃れられないわけではない。教授は、「ナショナル・アイデンティティ」を再構成する可能性を次のように説明していました。大学生ごろになって自分で物事を考えることができるようになったときに、自分自身、そして、自分の「ナショナル・アイデンティティ」について再構成することができる。「ナショナル・アイデンティティ」は、その性質上、国民国家と他者という二つのキーワードをあわせ持っています。第一に、「ナショナル・アイデンティティ」は国民国家の歴史と深い関係を持ちます。そして、第二に「ナショナル・アイデンティティ」は国民とは区別された他者を作ることで国民を形成します。したがって、「ナショナル・アイデンティティ」を再構築する上では、国民を作る上で利用された他者の視点から国民国家の歴史を捉え直すことが必要となります。

国民国家と他者という「ナショナル・アイデンティティ」を再構築する上で不可欠な二つのキーワードから日本の「ナショナル・アイデンティティ」に関する議論を見るとその独善性を理解することができます。教授によると、日本人がその「ナショナル・アイデンティティ」を構築する上で最も利用したのは朝鮮人という他者でした。しかし、現在の「ナショナル・アイデンティティ」に関する議論では他者としての朝鮮(人)は全く考慮されていません。「日本文化論」や「日本型経営論」はもとより、日本の思想の根本にある吉田松陰の思想を見ても朝鮮(人)に関する記述は見られません。日本は、その歴史を見たときに朝鮮(人)から大きな影響を受けています。それにも関わらず日本の思想は朝鮮(人)について全く関心を持たないのです。

日本の近代史は、主に次の三つの要素を持つものとしてまとめることができます。それらは、西洋崇拝、天皇制イデオロギーと朝鮮(アジア)侵略です。日本の近代は、植民地の拡大を目指す西洋列強からどのようにして国を守るのかという問題意識から出発しました。そこで、近代日本がとった戦略は二つあります。第一に、前近代的な天皇制を復活させることで社会の統合を図ったことです。第二に、西洋列強に対抗して植民地を獲得するために朝鮮(アジア)を侵略したということです。これら三つの要素が近代日本を支える重要な柱となってきました。しかし、日本の教育ではこれらのこと、特に、朝鮮侵略のことについて充分に教えません。だから、学生たちは現在の朝鮮半島が南北に分断された責任は日本にあるという事実について全く知らないのです。

最後に、教授は学生が「ナショナル・アイデンティティ」を再構築する上で必要なことと今後への期待について次のように指摘しました。人々は「生まれ」、そして、「ナショナル・アイデンティティ」を選ぶことはできません。しかし、「ナショナル・アイデンティティ」を再構築することはできます。「ナショナル・アイデンティティ」を再構築するためには、自らの「出自」に対する歴史認識を持つこと鍵となります。自分自身にとって当たり前となってしまった「出自」を捉えなおすことによって、マジョリティの中からもマイノリティに配慮できる人が出てくることが期待できます。

<参考文献>
『日本国民論』筑摩書房、1997年
『現代韓国の思想』岩波書店、2000年
『もっと知ろう朝鮮』岩波書店、2001年
『ソウルで考えたこと―韓国の現代思想をめぐって』平凡社、2003年

文責 田中

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