Japanese Studies by SADRIA, Modjtaba and YI, Hyeong Nang

Saturday, November 11, 2006

フフバートル「モンゴルから見た日本」

10月28日の日本論ではフフバートル(昭和女子大学助教授)先生をお招きして「モンゴルから見た日本」という題名で講演を行っていただきました。ここではその講演の内容を簡単にまとめたいと思います。

先生は、モンゴルの地理的な特殊性を説明することからその講演を開始しました。モンゴルと聞くと地平線の向こうまで草原が広がっているというイメージを抱く人がほとんどだと思います。しかし、先生によると草原としてのモンゴルのイメージと実際のモンゴルの地理的環境は異なるのだそうです。モンゴルは、草原もあるが山脈と砂漠もあるとても多様性に富んだ地理的環境を持っています。そして、その気候は周りを山脈に囲まれているせいで湿気が通らずとても乾燥しています。そのような地理的、また、気候的環境はモンゴルの生活に大きな影響を与えています。モンゴルの環境には農業は適しません。したがって、歴史的にモンゴルの人々は遊牧で生計を立てざるを得なかったのです。

日本も大きく影響を受けた中国に隣接しており、また、人々の要望も日本人によく似ていることから、モンゴル人に親近感を抱く日本人は多くいると思います。しかし、先生はモンゴルの文化的な特徴が日本を含む東アジア諸国が持つ文化的な特徴とは大きく異なることを説明しました。モンゴルと東アジア諸国の文化を分ける大きな要因となるのは、人々の生計の立て方が違うということです。つまり、モンゴルの人々が遊牧によって生計を立ててきたのに対して、東アジア諸国の人々は農業によって生計を立ててきました。遊牧と農業という生計の違いは方言に見ることができます。一方で、農業で生計を立ててきた東アジア諸国にはさまざまな異なった方言が存在します。しかし他方で、遊牧で生計を立ててきたモンゴルにおいて方言の違いはあまりはっきりしたものではありません。また、宗教や文字の違いもまたモンゴルと東アジア諸国との文化的な違いを証明するものです。モンゴルがシャマンを主な宗教としてウイグル式文字を使うのに対して、東アジア諸国は儒教を主な宗教として漢字文字を使います。したがって、モンゴルと東アジア諸国は文化的な類似性よりもむしろ異質性を多く持つのです。

そのようなモンゴルと日本との歴史的な関係について考えると思い浮かぶのは、13世紀の蒙古襲来と1939年のノモンハン事件だと思います。この二つの出来事はともにモンゴルと日本との間で行われた戦争ですが、先生によると、多くのモンゴル人は日本に対して悪い感情を抱いていないそうです。しかし、ここで注意しなければならないのはモンゴルが二つの国(地域)に分断されているということです。それらは、外モンゴル(独立国としてのモンゴル)と内モンゴル(中国の一つの自治区)です。外モンゴルと内モンゴルの日本観を単純に同一視することはできません。モンゴルにとって、中国の侵入にどのように独立を維持するかということが歴史的に大きな課題となってきました。大国である中国に小国であるモンゴルが対抗するためには、他の大国に庇護を求めるほかありませんでした。そして、どの国に庇護を求めるかという選択の違いからモンゴルは外モンゴルと内モンゴルに分断されることになります。一方で、外モンゴルはロシア、そして、ソ連に庇護を求めることで共産主義国として独立しました。しかし他方で、内モンゴルは満州に侵略してきた日本に保護を求めることで最終的には中国の一つの自治区となりました。ここで日本の満州侵略がモンゴルの外モンゴルと内モンゴルへの分断に大きな影響を与えていることを理解しなければならないと思います。

現在のモンゴルと日本との関係もまた、外モンゴルと内モンゴルという二つの関係として理解しなければなりません。外モンゴルは、東欧における民主化運動の影響受けて1992年に民主憲法を導入するなど民主化を進めています。外モンゴルにとって、日本は経済的支援者となっています。しかし、内モンゴルにとって日本との関係はより複雑です。内モンゴルは、かつて中国に対抗するために満州に侵略してきた日本に積極的に協力しました。そして、1947年に中国の自治区となった時に重要な役割を果たした人材のほとんどが日本占領下で育てられた人材でした。その意味で内モンゴルと日本はとても強い関係を持っています。しかし、中国の一つの自治区に過ぎない内モンゴルは中国の意向を無視して日本との関係を自由に考えることができるわけではありません。外モンゴルと日本との関係に比べて、内モンゴルと日本との関係はより複雑なのです。

ここでは、フフバートル先生の講演の内容を簡単にまとめました。最後に、簡単な感想を述べさせてもらいたいと思います。私が先生の講演を聴いて特に興味深かったのは次の二点です。第一は、モンゴルが外モンゴルと内モンゴルに分断されており日本もその分断に責任を持つということです。モンゴルが外モンゴルと内モンゴルに分断されているということはこれまであまり意識することはありませんでした。ましてや、日本の満州侵略がその分断に大きな影響を与えたということもこれまで考えたことがありませんでした。自分自身の歴史認識の貧弱さを反省しなければならないと思いました。そして第二は、モンゴルの社会が支族を単位として構成されているということです。これまで私は、社会は個人を単位として構成されるという考え方を当たり前として考えてきました。もちろん、個人集合としての社会という社会の考え方とは異なった考え方を知らなかったわけではないのですがあまり意識してきませんでした。しかし、先生によると、モンゴルの社会は支族(外モンゴルでは49、内モンゴルでは86)が重要な役割を果たすそうです。社会は必ずしも個人を単位とするわけではないのです。

文責 田中

1 Comments:

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    モンゴルの社会は支族(外モンゴルでは49、内モンゴルでは86)が重要な役割を果たすそうです
    "
    中の49、と86はどういう意味ですか。

    フフバートルさんはモンゴル人を代表できない。彼はモンゴル名前の漢人じゃないかと思っています。漢人じゃなくても、共産党に支配されたモンゴルじんじゃないかと思います。

    何故なのかは、彼は中国に支配されたモンゴル人は自分がモンゴル人より中国人と言うべきだと述べましたから。もし、ほんとうの中国にいるモンゴル人だったら、絶対自分が中国人より自分がモンゴル人と言いたいです。

    この一点から、彼はほんとうのモンゴル人じゃないと判断できます。

    By Blogger chuluu, at 10:13 PM  

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